事実とデマ [日記]
ネットは、一瞬のうちに拡散され、多様な情報が飛び交う
その中には事実、善意もあるが、それが結果としてどこかで「デマ」へ変遷して行ったりしてしまう
最初は事実、その事実を受けた人も、役に立たなければという善意から広がる
これを単純に個人の問題として捉えるべきなのだろうか…
すでにネット社会になっている
こうやって書いたブログは、どこの誰が読まれるかわからないし
それをどう理解されるか
それはその人の価値観であったり、経験であったり、考え方ひとつで、書いた本人の手から離れてしまう・・・
単純に個人の情報の捉え方だけに終わらせてしまうのはどうかと思う
今回の震災のように、危機的状況の中で、緊急性も要求され、瞬時に判断をしていくことが求められたときに
誰だって「救助求む」というものを見れば、走り出そうとするのが人として当たり前のこと
目の前でおぼれかけている人を見て、そのまま放置できる人間はいないはず!
要はその内容がどれだけ、緊急性を持ち、重大であり、事実かどうかである
個人としてそれを見極める必要はあるが
それだけではなく、政府、行政がどのようなネットワークを構築し
そこからの情報が、個人よりも先に公式情報として発せられるか
まだまだそれができていないところにも大きな問題があるのではないだろうか
以前、宇和島水産高校の練習船がハワイ沖で米海軍の潜水艦によって沈没させられたとき、当時の森首相はゴルフの真っ最中で、そのままプレイを続けたことがあった
まだそういう危機感のなさが、仕組みとして政府、行政に構築されていないのではないのだろうか…
公式情報がいっせいに、どこよりも早く、発表されるのであれば、個人があわてる必要もないし
同時に個人の情報も一元的に集約されるような仕組みが整備されておれば
それを公式発表にも盛り込むことができるはず
今回のことを単に個人の問題としてしまわず、国家的問題として危機管理の仕組みの構築に生かしていくことこそ重要ではないかと思われる
そして、その内容について、国民一人一人が110番のように、情報を連絡できる仕組みとして認識できるようにすれば、混乱も制御可能になってくる部分もあると思われる
全部の情報がそうなるとはいえないが、少なくとも多くの情報が、ネットを利用することで整理されることは可能であるように思う・・・
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