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抑止力?ー原爆、暴力団 [日記]

島田紳助氏の引退について昨日も書いたが、

通常で考えれば、それだけの騒ぎになっていたら、組織的対応が社会的な形でなされるのが本来の筋であるにもかかわらず、

 

個人的に解決しようとしたことで、誤った道を選択してしまった

しかし、個人的に解決しようとする場合でも、本来であれば社会的解決の道を選択するのが、一般的な考え

確かに、事が起こらなければ動かない警察が現実的にいることも確か

しかし、「威力業務妨害」という形で、ことは起こっているわけであるから、個人であっても、所属する吉本であっても、直接的被害をこうむっている関西テレビであっても、社会的対応はできたはず

 

にもかかわらず、それが行われずに、個人の謝った最悪のシナリオを個人は選択し、企業は放置した

暴力には暴力が社会性のある行為か

暴力団は抑止力になるのか

正論では、答えは「否」のはずである

にもかかわらずそれを選択したということは、人としての社会性の欠落、それを放置した組織としての社会性の欠落もしくは、社会的対応を拒む自らの何らかの非があるために、それを選択せざるを得なかったということしか考えられない

 

島田氏の引退だけで、事を収めてしまったのでは、そこに隠れた事実、真実すら見えなくなってしまう

まるで政治屋の「秘書のやったこと」というとかげの尻尾きりと同じである

島田氏を擁護する声、感情的には理解できる部分はあるが、選択を誤ったという点においては最悪の選択をしたことで、擁護しきれるものではないが、一方でそれを放置した組織の問題を白日の下にさらさなければならない

 

確かに、世の中には理不尽なことが多くあり、正論だけではなかなか通用し内面があるのも現実

しかし、そうといって目には目をでは何の解決にもならないし、その問題を温存し続けることになってしまう

 

これは原爆でも同じことで、誰一人としてそれがいいものとは思わない

しかしそれを抑止力といって必要だといわれたりするが、その事が本来の問題解決につながらないことはよくわかっているはず

石垣島など沖縄で「米軍は平和の抑止力」というような教科書を認めた市町があるが、たしかにその存在によって経済的な恩恵はあるとは思うが、日本という主権国家に必要なものであるか!

その上、国民の税金を「思いやり」予算として提供しているのである

日本はアメリカの植民地ではない!

 

原発もしかりである

経済的恩恵を得たかもしれない…しかし、今、その為にそれ以上の被害をこうむっている

 

ことはそれぞれ違うが、そこには社会性を無視した、「正論だけでは生きていけない」というような悪を温存する考えが流れている

そのことによるしっぺ返しは、その倍以上になって帰ってくることを認識してのことなのか

未だに前近代的な未成熟な民主主義という現実が、そこに横たわっている・・・ 

 


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